名前は、秋山大介(あきやまだいすけ)

どの漢字も小学校低学年で書けてしまうような、とてもカンタンな漢字の組み合わせです。
この中では唯一複雑な「秋」さえ乗り越えれれば、誰でも書ける名前です。。。

名前の由来なし…

ちなみに、この名前の由来は「ない」です…(T T;)

父が高速道路を運転しているときに突然思いつき、男なら「大介」、女なら「なんでもいいから『花子』にでもしておけ」と、とんでもないことを言う始末…何とか男で生まれたので、何でも良いほうにならず、今では良かったと思います。

1980年1月17日(木)14:00頃、栃木県宇都宮市にて、この数ヶ月後には会社員をクビになり「無職」になる父と、百貨店勤務をしていた母の間に長男として誕生。

大智(長男)と軽井沢にて

生まれても信じてもらえない…

でも…予定日が3月1日だったので「オギャ~~~~」と泣いて生まれても、父はもちろんのこと、祖父や祖母も生まれたことを信じてもらえなかったという残念なエピソードが…。あげく、祖父は母からの電話に対し「何ウソを言っているんだ!」と言われてしまったとか。だから、みんなが仕事を終える夜まで病院に来てもらえず、保育器の中で一人スヤスヤと過ごす…(T T)

生まれたときは、500mlの牛乳パックほどの大きさで、本当に小さかったらしいです。だから、母は妊娠中でもほとんどお腹が大きくならず、ほぼ誰も気が付かなかったとも。。。ちなみに、元NICU(新生児の集中治療室)に勤務していた妻によれば、その頃の医療技術で考えると「よくここまで成長した…」と言いたくなるくらいマイナスの状況だったようです。

あとは生命力にかけましょう…

そういえば、母は医者から「あとは、お子さんの生命力にかけましょう」と言われ、生まれてから数日後に死んでしまう可能性があったと聞いたな…ついでに、両親はこれだけ未熟児で生まれてしまったので医者から「周囲のお子さんに知能が追いつくのは、早くても小学生です。だからそれまでは焦らず見守ってあげてください」と言われたとも…

そんなこともあり、脳の発達が他の子どもよりも遅かったせいか、幼稚園に入る3歳のとき名前は書けるはずもなく…そして、絵なんて書けるわけがなく…今でも忘れない「青とピンクだけで描いたドヘタの絵」をみんなに笑われたな…そのときは、なぜみんなが笑っているか分からず一緒に笑ってたけど、そういうことだったんだな。。。

今、5月生まれの息子を持つ父になった私は思います。。。

「1月生まれで未熟児」って、そりゃ~、色々なことの覚えが悪いはずだわ…

才能のない人間は、人の倍の努力を積むしかない…

でも、別にそれは今思えばという話だけで、今まで全くそれをハンデだと思ったことはありません。もちろん、これからも全く思うことはありません。ただ、思ったことは、自分は周囲の上手くいく人たちと違って、才能がないんだ。だから…

「才能のない人間は、人の倍の努力を積むしかない」

そう思い、何かを成し遂げたければ、人の倍の努力をするしかない…そして、今はそれに加えて「学びを止めてはいけない」と思って、ただただ日々を過ごす毎日です…

続きは次のページをお読みください。「生まれて間もなく…父が会社をクビになり無職になる」…