From:秋山大介
「同じことをする集団ではなく、同じものを目指す集団になる」
「上司は部下を自分のコピーにしたがるが、それは自分の劣化版のコピーを作るに過ぎない。」そして、こんな言葉も…「本当の一流は、自分を超える存在を育成できる人のこと」いつも念頭に置き自分に言い聞かせている言葉なのですが、先日、改めて実感する機会がありました。
ちなみに、上の2つの言葉は、ドラッカーの言葉のようです。日本語訳に加えて解説付きの本の言葉なので、このような言葉で表現したかはわかりませんが、このような主旨の言葉を述べていたようです。そして、一番下の言葉は、私が学んでいる帝王学の中に出てきたものです。
いずれも、改めて実感しました。私が今、天中殺期間…カンタンに言うと、自分の枠を上にも下にも超えやすいので、注意すべき期間だからなのか、それとも、いろいろなことが動き出しているからなのか、私の周囲では、ややトラブルが続いています。
しかも、ほぼ全てがヒトが原因のトラブルです。しかも、しかも、、、ほぼ全てが
「上司が劣化版コピーを作ろうとしているか、劣化版コピーを作ってしまったこと」
「その組織が、同じものを目指す集団ではなく、同じことをする集団になることを強要した」
この2つが原因だと考えられます。だから、もしその組織のリーダーに「本当の一流は、自分を超える存在を育成できる人のこと」という言葉が念頭にあれば、少しは状況が違ったのではないかと考えるところです。
例えばある経営者は、以前、こんなことを言っていました。「中途採用よりも、新卒のほうがいいよね。だって、変に汚れていないから、自分の色に染められる」と。
今考えると、この時点でその方は、すでにこの時点で「同じことをする集団を作り、自分の劣化版コピーを作る」ことが、組織を反映させるものだったのでしょう。
つまり、「組織の中に自分がいるのではなく自分のための組織を作る」これを目指していたのでしょう。
ちなみに、私は今、家業の組織をどのように作ろうとしているかというと、やはり、あの言葉を言い聞かせているので、そこを進むことはしません。
するのは、「100年続く企業の基盤を作るにはどうすればよいか?」という部分です。言い換えると「この会社を次世代につなぐには、どのような形で会社を渡すべきか」という視点で組織づくりを始めています。
そして、不思議ですが、その視点になると、全くといって良いほど、「自分のコピーを作ろうとは思わない」「同じことをする集団にしようとは思わない」となります。
ちなみに、補足すると、私は、先日息子を何とかスクールとやらに入れることになり、その書類に「教育方針は?」とあったのですが「自分のコピーを作ろうとしない」というのがあります。
これも全く同じ考えです。だから、私は今、同じものを目指す集団には、各上司や先輩が自分の劣化版コピーを作ろうをしない方針をなるべく伝えるようにしています。
ただ、ここで問題なのが、日本企業には、古くから「自分の企業の色にあった、ゼネラリストを育成する」という根本的考えがあるでしょう。
これは、企業の大小に限らずそうだと思います。だから、私が以前話した経営者の方の話は、決して間違ったものではないとも言えるでしょう。
ですが、、、私も最近知ったのですが、今、日本はそういった自分の企業の色にあったゼネラリストではなく「比較的流動性の高いスペシャリスト」を育成する方向に舵を切ろうとしているようです。
つまり、それはまさにドラッカーの提唱する「同じことをする集団からの脱却」であり「上司が劣化版コピーをつくることの終焉」を意味するのではないでしょうか。
これまでは、適材→適所の順番で「良いと予測される人材を採用し、適所を探しながら育てる」のが一般的な流れでしたが、それが「適所とその適所の要件定義があり、そこに良いと分析できている適材を当てはめる」という全く違った流れに動きそうです。
つまり、これは言い換えると、「より高度なプロフェッショナルが求められる世の中への変革」といっても良いでしょう。
いずれにしても、私も教育分野や実務などに関係して仕事をしていますが、何かここから全てが連結して、とてつもない変化が起きそうな感覚があります。
おそらく、今はしっくりこない話ですが、近い時期に、私はこの「同じことをする集団ではなく、同じものを目指す集団」という概念が、一気に普及するのではないかと考えています。
そうなると、自然と人材育成の概念も変わり、「上司の仕事は、部下を自分を超える逸材にすること」に変化するのではないかと思います。
あくまでも私の予測ですが、近い将来というほど遠い時期ではないく、もっと近い時期に、この変化はくるのではないでしょうか。
ー秋山大介